小さなことばを通じて世界と繋がるワクワク感 [Books: カタルーニャ語小さなことば僕の人生]





このブログにやっと「Books」というカテゴリを追加できる日が来ました。

毎日目まぐるしく過ぎていく中で、旅と日常の一瞬一瞬を書き留めたいと始めたブログでしたが、特に子どもが生まれてからは、仕事、家事、育児とやることが山積みで、なかなかゆっくり本を読んだり、それをまとめたりという時間が取れず、そもそも活字という存在からかなり遠ざかっていました。
特に産前産後は、ホルモンの影響なのか、短くても活字を読むということ自体が全くできなくなるので不思議です。

1人目が4歳、自分のことは自分でできるようになり、生後8ヶ月の2人目もまだ歩き始めない。育休中、今がチャンスと、家から徒歩2分のところに図書館があるという絶好の立地を生かして、少しずつ本を読んでいこうと思います。

ブックレビューと言っても、概要をまとめたりはせずに、自分の体験や経験と照らし合わせて心に残ったことを書き留めていく、自分向けの読書日記という方が近いかもしれません。


カタルーニャ語小さなことば僕の人生



今週読んだ本はこちら。



カタルーニャ語小さなことば僕の人生 田澤耕(著)

小さな漁港の町、真鶴に遊びに行った際に、道草書店(Instagram / Google Map)という本屋さんで平積みしてあるのを見つけました。漁港の町と、カタルーニャ(地中海に面したスペイン北東部、バルセロナを首都とする地域)というイメージがぴったり合うなと思い立ち読みしてみると、一瞬で惹き込まれた本でした。

道草書店さんも、人が主役の複合本屋さんという、とても居心地の良い素敵な場所でした



銀行員として働いていた著者が、海外赴任をきっかけにカタルーニャ語と出会い、その後大学教授、翻訳者として活躍していく半生を綴っています。
大学教授(読後に肩書きをみると、なんと名誉教授)でありながら、元サラリーマンだからか親近感の湧く書き方で、「知的生活」に憧れ、「休暇の長さ」に惹かれて大学院を目指すくだりは、私のような多くのサラリーマン達は「ああ、分かる。」と心底共感できる部分ではないでしょうか。

行員時代にフランス語とスペイン語を習得し、その後大学院でラテン語を習い、育児をしながらドイツ語も勉強し、日本で誰も手をつけていないカタルーニャ語に取り組み、辞書を編纂し・・・と、普通の脱サラ・リーマンにはできない数々の偉業を成し遂げながら、それでもなお共感が抱ける書き方をしてくれている。随所に、著者の人柄の良さを感じさせる本でした。

それは本のタイトルである「小さなことば」という表現のチョイスにも現れている気がします。

紀元前後にヨーロッパの広い領域を支配していたローマ帝国全体の言語だったラテン語。帝国の衰退とともにカタルーニャ語が生まれました。

各地のラテン語は独自の変化を遂げ、長年の間に、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、そしてカタルーニャ語などとなっていった。これらの言語を「ロマンス諸語」という。つまり、カタルーニャ語は小さいとはいえ、これらの言語とは姉妹関係、対等の関係にあることになる。いずれかの言語の「方言」ではない。(小さい言語を意図的に貶めようとする時には、「方言」だ、と決めつけることが多いのだ。)

言語人口が約六百万人と、スペイン語などと比べると少ないカタルーニャ語。それでも対等な関係であり「小さなことば」だとしています。常に小さな側から巨人の側を見ている作者だからか、作者と読者、教授と学生、家族の関係、いろいろなことを対等に捉えてくれている優しさや器量の大きさを感じます。そして、当時作者が感じていたであろう、小さなことばを通じて世界と繋がるワクワク感も伝わってきて、不思議と自分も「人生楽しくいこう!」と思える本でした。
あと、読後に教授になる方法を調べた人は私だけではないでしょう。笑

バルセロナ「自由」「経済」「真面目さ」のバランス


本を読み進めていると、度々「カタルーニャは工業先進地域」であり、「住民の性格は勤勉」という内容が出てきます。

十九世紀後半、カスティーリャ(スペイン)がヨーロッパの近代化、産業化に乗り遅れたのに対し、元々、勤勉な性格の住民を持つカタルーニャは息を吹き返し、バルセロナを中心にスペイン国内の経済的牽引者の役割を果たすことになった。

そこで思い出したのが、自分がバルセロナに行った時にワイン会に参加させていただいた時の日本人宿主の方のお話です。


サクラダファミリア近くの宿に泊まりました。2011年当時(今も?)工事中


世界中100カ国以上を旅し、そろそろどこかに腰を据えて生活しよう、となり、訪れた何百都市の中から選んだのがバルセロナだったということです。

南米を気に入って一番長く滞在していたため、南米のどこかの国も考えたが、そこで商売をして生活する、となると、それなりに「真面目さ」が必要。
勤勉に働く人がちゃんといて、社会が機能していないと、詐欺にあったり騙されたりするかもしれず、外国人がその国で商売をし、お金を稼いで生きて行くのはしんどい。
だけれでも、そもそも日本の「真面目さ」に息苦しさを覚えて出てきたので、日本ほどきちんとしているのも出てきた意味がない。
「自由」と「真面目さ」のバランスがちょうどいいと思えたのがバルセロナだった。
ーーーといったことをおっしゃっていました。

なるほど、スペインの中でも首都のマドリードではなく、バルセロナの方が勤勉に感じるのは、カタルーニャの特徴なのかも知れない、オーナーの方はその違いを敏感に感じ取って選ばれたのかもな。

本を読みながら、過去の会話にタイムスリップしてそんなことを考えていました。


サクラダファミリア近くのジェラート屋さんの店員さん、いい笑顔


また面白い本を見つけたら、このブログで紹介していきます。